だって愛してる(3) (まんがタイムコミックス)
2巻のあとがきにそれらしき事を匂わせていたら本当に終わってしまった。
読み終えて終わってしまう淋しさと充足感の両方の気分に感じたのはめぞん一刻以来かな。
このマンガに出逢えて良かった。
『ありがとう』と作者に感謝を言いたい。
コマ数の限られた4コマ漫画でこれだけの物語が描けるのだと衝撃を受けた作品でした。
この漫画はもっと評価されるべきだと思います。
らいか・デイズ (14) (まんがタイムコミックス)
そろそろ、どっかで区切りをつけないといけないのかも。そう思い始めた14巻。
しかし「なぜだ。なぜ春菜に勝てないんだ」と膝を付く竹田君に対して、らいか。
「いつも器用に一問だけ間違える方がよっぽど不思議だよ」と屈み込んで顔を寄せる。しかも冷めた目で。
ここ数巻、後半20ページ位を初期の作風に割り振っていますが、飛び道具的面白さは、こちらの方が上かな。
らいかと竹田君の小6ラブストーリーは行くところまで行ってしまったのかも知れません。
財津先生と養護施設の先生の何年目越しかのクリスマス・ラブストーリーも一区切りです。
もちろん十二分に面白いですけれど、「形になっちゃた」のかも知れません。花丸小物語。
ドラマCDを花道に綺麗に幕引きというのもあり得ますし、マンネリズムに安住の地を見出す方向性も高いでしょう。
しかし、近々『らいか・デイズ 中学生編』がスタートする。或いはアニメ化する。
そんな「らいか・デイズ」の「発展的解体」を期待してしまいます。どう転んでも応援し続けますけどね。やっぱり大好きだから。『らいか・デイズ』。
らいか・デイズ(13) (まんがタイムコミックス)
本書、「らいか・ディズ」著者むんこ氏はそのハートフルな作風に反してペシミスティックな発言が目立つ作家である、特に自身が所属する「4コマまんが界」に対してある種懐疑的で、「4コマ誌は掲載のハードルが低いがその代わり載り続けるのが困難、」という旨の発言をしている、本作「らいか・ディズ」の単行本のあとがきにおいても「単行本は水物だ」と述べ、その存続の危うさとそれゆえの「何時打ち切られてもいいような」覚悟で創作に望むという、
事実、本作が掲載されている「まんがホーム」および「まんがタイムオリジナル」他のまんがタイムシリーズ誌において、「連載を想定した伏線を残した読みきり」が単発ゲストに終ったり、「単行本一巻を発売した作品」が打ち切られた、またきちんと完結したにかかわらず続巻が刊行されない、長期連載された作品が不自然にいきなり終る、新連載作品の2話が掲載されない、、ということは日常茶飯事で、「まんが」というもののもつ暗黒面の体言者ともいえる、
むんこ氏はそれらのことを理解した上で、あえてペシミストを演じているようにも見える、それは何時打ち切られえてもいいように、という覚悟を持ちながらも実際にそうなったときの衝撃を緩和するためではないだろうか?
だが、本シリーズ「らいか・ディズ」は長きに渡り多くのファンに愛され、ついに4コマとしては異例の13巻に突入した、「何時打ち切られてもよいように」描かれた世界は結果、「何時までも変わらない」世界となり、読者の心のよりどころとして「安心」と「安らぎ」、そして勿論「笑い」と「喜び」さらに「ときめき」をも与え続けてくれている、
(話がそれるが、本作をアニメ化するなら、今流行の深夜帯でワンクール、などではなく、「サザエさん」「ちびまるこちゃん」「クレヨンしんちゃん」のごとく「ファミリーアニメ」としての時間帯が似合うと思う、かつて「あずきちゃん」を制作したスタッフで放映されれば、、などと妄想してしまう。)
らいか・デイズ(12) (まんがタイムコミックス)
12巻目ともなると、脇役も充実してくるのか、それぞれの物語が出来ているようです。
今回12巻は、らいかの母・房江さんの活躍がたくさんありました。
意外と(失礼?)体が動くことがわかるエピソードが笑えました。
房江さんが「馬鹿にするんじゃないわよ」と言っているような気がしました。
らいかちゃんのすごさはこの母・房江さんからきているのでしょう。
そういえば、らいか・父も頭よさそうな感じですよね。
今回も 某作家夫婦が主人公の作品とのリンクのお話があります。
ドラマCD らいか・デイズ
悠木碧さんの声が来華にぴったりだったと思います。とてもテンポの良い作品で、SEもよく使われていたので、まるでアニメの音声のみを聞いているような印象を受けました。
内容としては、単行本に収録されている特別編も織り交ぜられていて、ファンとしてはとてもうれしいものになっていると思います。
ただ、原作とは別のオリジナルストーリーもあることを期待していたので、少し残念でした。
次回作に期待したいと思います。