少年アシベ ゴマちゃんセレクション (アクションコミックス)
子供がゴマちゃんのアニメを見たがっていて、DVDを欲しいのですが、発売されていません。そこで、コミックをと思って購入しました。
最初の16ページはフルカラーですが、エピソードすべてが、ゴマちゃんではないので、「ゴマちゃんセレクション」のタイトルにはちょっと疑問符がつきます。
が、やっぱりゴマちゃんはかわいいです。子供が真似して、キュー、キュー言ってます。
大阪ハムレット 3 (アクションコミックス)
偽善と自己陶酔、自己犠牲を強要する環境からの逃亡、
因果応報、他人に向けてきた悪意と殺意が自らにはね返ってくる現実からの逃亡
そして、人として扱われなかった過去からの逃亡
嫌悪感と後ろめたさを捨てたくて逃げる
命惜しさに、自らを偽って逃げる
垂れ下がった蜘蛛の糸に必死にすがりつき、逃げる
この本を読んで涙が流れても、それは開放感とカタルシスからだ。
感動であり、感動ではない。
なぜならば、人間性の「真」だけは強烈に描かれており、善も美も描かれているわけではない(少なくとも主題ではない)からだ。
『あいの探偵』のアリサ、間違いなく、芥川の『蜘蛛の糸』の結末を知ってはいないであろう彼女は、カンダタの行動を肯定するに違いない。
ライバルや障害は、どんな手を使っても排除する。それが、幸せを掴むために必要なのだと彼女は固く信じている。
世間知が無ければ、世間知を学ぶ機会を与えられなければ、多くの人間はアリサになるのだ。
だが、そんな強烈な真実を描きながら、一応のカタルシスにまで導いてくれるからこそ、この本は名作と言い得る。
ノワールに、救いの無い落ちをつけてしまったら、「真」は描けても、物語として名作にはなりえない。
主人公たちは、皆、逃げることに成功している。
逃げて逃げて、ささやかな幸せを手に入れることに成功する。
ここが、森下裕美はやはり、とてつもないストーリーテラーだと再認識させられる点だ。
同じく、最後に開放感を与えて、読者に評価される物語はある。が、
それらが概して、「下手物を食わせるだけ食わせて、最後に吐かせる」タイプの嘔吐型カタルシスで構成されているのに対し、
森下裕美は、同じ下手物を食わせるにしても、見た目も味も超一級品に仕立て上げる。
食べ終わったあとにあるのは、満腹感と満足感、食後の一杯的カタルシス。
だが、しかし、食べたのは、紛れも無く下手物。
森下裕美は、ちらりと、素材が下手物であることもアピールしている。
ふと感じる気持ち悪さ。
(『女忍者の夏』での、主人公をちらっと見たあと、姪のことみの見せる偽善の笑顔、『テレパシー』での、孫のユウ君の一言「人生とか考えた?」、『あいの探偵』での、「おっちゃんこれでもう大丈夫や」)
カタルシスで消化しきれない小石。
読者の心にころりと『違和感』と言う小石を投げ込む巧緻、人と世間を冷徹に見つめる視線も、さすがと言わざるを得ません。
トモちゃんはすごいブス(1) (アクションコミックス)
一巻二巻と通して読んで、すごい人たちばっかり出て来るなあと思いました。
「トモちゃん」を除き、それぞれの人物の顔立ちがきれいで可愛いのですが
彼らは「スーパーまるでん」で出ていたキャラクターと同じ感じがします。
「スーパーまるでん」はえぐーい人たちが繰り広げるほのぼのマンガ
(とみせかけたやっぱりえぐいマンガ)でしたが
これもそうなんだろうなと言う気がします。
ただ、この作品はそれぞれの心の中に触れられる場面があります。
そのときに受ける感銘みたいなものが、「大阪ハムレット」で受けたアレと同じで
すごい名作の予感がします。
大阪ハムレット 2 (アクションコミックス)
第1巻目を読んで、「これは、大阪の恥さらし」と思った大阪人も多かったのではないか? よりによって、横山やすしのような純粋の大阪人ではないガラの悪い人間ばっかり出てきて。「ちょっとちゃうやん!」と思っていた。でも、第2巻で救われた。ここでも、登場人物は純粋な大阪人、とはいえないかも知れないが、お話そのものがいい。作者が大阪人、舞台設定が大阪、登場人物が大阪弁を話す、ということで「大阪のマンガ」となっているが、ストーリー自体は世界中どこにでも起こって欲しい。ニューヨーク・ハムレットがあってもいいし、上海ハムレットがあってもいい。平壌ハムレット、中東ハムレットなんかが出てくれば、世界は少しは平和になるかもしれない。
大阪ハムレット(4) (アクションコミックス)
1巻から3巻まで全てが五つ★レベルの面白さで
心に深く突き刺さってきましたが
残念ながらこの巻に限っては何も突き刺さりませんでした。
それでもこのシリーズは唯一無二の面白さで見せてくれるので
次巻も楽しみです。