可能世界の哲学―「存在」と「自己」を考える (NHKブックス)
遅ればせながら論理学の基礎を独学してみようかと思っていた私にとっては,学習意欲を鼓舞してくれる本だった。不正確な言い方になるが,「すべての~」と「ある~」,「必然的に~」と「可能性がある~」などといった論理学の言い回しが,「可能なあらゆる世界」における存在論的な思考に置き換えられること,主語と述語からなる言明は世界認識を表明していることに気づかされた。
可能世界とはなにかについては,それを実在とする意見としない意見,それぞれがさらに細分されて,結論が出ていないという。個人的にはいわゆる「神」という言葉で表現されるところのものの知において無限の可能世界があり,現実にはいまのこの世界のみがあるのだと思い,それについて論理学的に証明可能かどうかには,それほど興味はない。また「百歩ゆずって全知全能の神の実在を認めて,なぜこの世界だけを実在させたか」との疑問についても,興味はない。それは神の自由意志だと思うから。自由意志で,あえて選んでこの世界を創った。あえて選んでこの花を,その草木を,あの人この人を創った。それが自由な意志によるものゆえに「神はそのひとり子を与えるほど,世を愛された」と信じてしまうものにとっては,それを人間の理屈で理解したいだとか,できるだとか思うのは,頭のよい人ならではの勘違いだと感じる。海の水をコップでくみつくそうとするようなものだ。そんなわけで,作者が力を入れた後半の「世界」と「自己」についての考察は,つまらなかった。
論理パラドクシカ 思考のワナに挑む93問
いい時代にはなった。
倫理学説。しかも大陸系の晦渋なものじゃない、 英米系のクリアな議論をパズルの形で楽しめる本が出揃った。
マルクス主義の左派には英米系の隠しテーマの功利主義は不倶戴天の敵だし、
それに対抗する観念論とも相性が悪く日本ではタブー視されていたが、その呪縛もなくなった。
また、哲学はパズルなのかとの反発も無意識にあったが重厚長大が有り難がられる時代じゃなくなった。
ここでいうパズルには論理学的なものや認識論、存在論的な物も含まれ、そういうテーマが倫理と切り離せないのは読めばわかるだろう。
代表的な物として、
・倫理問題101問、哲学問題101問 コーエン
・100の思考実験 バジーニ
・論理パラドクスシリーズ 三浦俊彦
などなど。
他にも加藤尚武の現代倫理学入門や今をときめくサンデルの著作なども、例題は豊富だが、パズルに特化したわけではないのでここでは外そう。
100の思考実験は著者は哲学者じゃなく哲学好きのジャーナリストであり、
きめ細かく取材して問題を網羅しているという点では良く出来ている。専門じゃないものが索引代わりに使うには最適だ。
しかし、問題文に続く問題を考えるための導入部分では、例えば水槽の中の脳をデカルト的懐疑と混同していたりする。
哲学的に論じる上で先に進もうとするにはぬるい誤解する危険がある。
確かにその問題が出された文脈離れて議論できることも重要ではあるが、
そのもっていきかたが通俗的で物足りないものになっている。
本当に考えたいなら索引使いに徹してどんどん原典に当たらないと役には立たない。
人間の行動は進化論の適応図式だけじゃ説明できない思考実験などは素人らしくていい味出してて好きだが。
三浦氏の本の方は逆に切れすぎ。本職の哲学者だけあり、良く考えてそこまで答えられるかと、
曖昧を排しあたるを幸い投げ倒しているが、結果、十問に一問はトンデモ解答が紛れ込んでいるので注意が必要だ。
著者の立場は物理主義でも更に特殊な進化論派、確率絶対主義だが、それは特殊な立場で通説でも何でもないし、そこから導かれる議論も通説足り得ない。
例えば一例上げるならエディプス・コンプレックスを論じたところでは、
進化論的に近親相姦続ければ遺伝子的に弱点が累積し、排除されやすいから淘汰され、忌避されるし、
遺伝子戦略として残す意味はないからエディプス・コンプレックスは遺伝されえないから過ちだと言うが、
そういう遺伝子的忌避や社会的関係がめちゃくちゃになるから近親嫌悪が埋め込まれながら、
同時に生物として生殖活動としての性的対象としての欲望もあるから、
生物の原理として矛盾した葛藤があるから、エディプス・コンプレックスが意味があるのだろう。
論点がずれているのだ。
生物学的に片がつくのではなく、生物学的な中で様々な矛盾した要素があるから、
どうコントロールするかとして、浮き上がった問題だろう。
生物学だけでは解けないから自然と文化の謎として出てくるのに、
生物学のレベルで答えを出すのは問題のレベルを混同している。
彼の進化論主義、生物学主義や確率重視主義もこのように論点の混同からたやすく間違える。
彼が哲学に紛れ込んだ蒙昧主義神秘主義を批判するのは賛成だし、
仮想敵のネーゲルや永井均などのクオリアだ私だ神秘主義めかした議論が多いのは事実でそれらを批判したいのはよくわかるし、
それらはトンデモであるのは事実だがそれを批判する議論自体がトンデモになってしまっている。
オカルト批判した大槻教授みたいにそれ自体トンデモと化している議論が正当な哲学議論と同居している。
批判が批判にならず弁護しているのと変わらない弱点さらけ出すものが結構ある。
議論の前提条件がニ三ぶっとんでいるものを承認しないと導けない議論が多い。
無論無理やり白黒つけたり割り切ったところが魅力なのだが、鵜呑みにしないで批判的に読むことが大切だ。
良いところは批判的に読んでも議論が開かれてるところだ。
コーエンは答えが出せないことをわかった上でその問題を整理して構造化し、
より一歩上を考える参考になるよう配慮していて、哲学的に一番深い。参考になる。
一問一答ではなくディスカッションではグループで何が問題とされているのか掘り下げて考えられるようにしている。
ソクラテスに対抗するアリストテレスとニーチェの賎民道徳を否定する生き方の問題など、フーコーやドゥルーズにつながり興奮した。
哲学をある程度わかっている人間には一番益になる。
しかし、初学者には何を論じているのか、わざと曖昧にしているのかと不評だろう。
各自特徴を捕まえて利用して欲しい。
論理サバイバル―議論力を鍛える108問
前作、『論理パラドクス』の姉妹編。本格的に論理学を学ぶための本ではないけれど、有名な論理学の問題やパラドクスを集めた本著をじっくり読めば、論理的な能力がつくこと間違いない。値段も安めだし、ネタ本としても重宝する。参考にした文献も逐一載っているので、発展的な学習をする場合も便利。
ちっこいところではツッコミたくなるところもあります(Q001とか微妙)。三浦氏は「正解らしきものが一つも見当たらない」のがパラドクスと説明しますが、単純に答えがなくて解けない問題を私たちはパラドクスとは言いません。ちょっと筆が滑ったかな?とか思わないでもないです。ま、そういう箇所があるにゃあります。
しかし、ただの論理パズル本にはない特徴として(α)哲学の問題をパズル・パラドクスとして多く紹介しており、哲学へのイントロ的な要素がある(β)解答のための様々な思考ツール(その問題から得るべき教訓)についても解説している、という点が挙げられると思います。この点に著者のオリジナリティがある。遊び心もいっぱい入ってるし、魅力的な本ですね。
論理パラドクス―論証力を磨く99問
評者は論理学に関して素人で、本来的にはあまり立ち入った評価はできないが、本書は初心者向けとしてとてもいいと感じた。
その主な理由は、論理の問題の例として取り上げられている題材が豊富で、目次からひろうと、予言と検証、意思決定と統計、法律や生命倫理などの分野にも渡っていて、一般教養としても楽しめることだ。一問一問がそれぞれ難題なので、読むのに時間がかかるし、ちゃんと理解しようとするとかなり疲れる。論理学の本として読めることは当然だが、寝る前や、電車の中でたいくつなときなどに読むのにも、ぴったりだろう。
ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975))
本書は、ラッセルの哲学・思想を分かりやすく説明した解説書である。書名は「ラッセルのパラドクス」となっているが、いわゆるラッセルのパラドクスをひたすら深く追究しようとするものではなく、ラッセルの哲学を広く解説したものである。タイプ理論、還元公理、センスデータ、センシビリア、中性一元論などをキーワードに、批判されることの多いラッセルの「過激な」哲学を好意的に解説してる。