大震災のなかで――私たちは何をすべきか (岩波新書)
33人も集めたら内容まちまちになるのは当然でしょう。
現地も見ないで評論家ぶっている人,自分たちの活躍をこれみよがしに書いている人,いろいろです。
おそらく今後必要なのは,そのような人たちではなく,現地からの要求に対して,黙々と支援する人たちだろうと思います。
そういう意味で湯浅氏「被災地には生活が続いている」の文章が心に残りました。
科学と宗教と死 (集英社新書)
著者は、17年前の関西大震災の時、精神科医のボランティアとして駆け回った。4年前に妻が家の中で突然死。昨年は自身がパーティー会場で倒れて九死に一生を得た。若い時から心理学の観点から人と死の関係を見てきたが、老年になって、人の死は心理学だけではどうしても捉えきれないことに気付いたという。
本書は、著者の、陸軍幼年学校入学時から終戦・戦後、関西大震災を経た経験と、今回の311の大震災と原発事故を見てその思いを綴ったものである。その中には以下のような一節がある。悲しいことにこの記述に同意しないではいられない。
「原発の報道に大本営発表を思い出す:政府は国民に真実を教えない・・残念ながら日本は為政者が国民に対して平気で嘘を言う国だと感じます。・・今度は原爆ではなく原発の被曝によって、これから国民が一生苦しむような、非常に多くの被害を出すのでしょう。・・・」
定義集
先日の毎日新聞には大江健三郎の社会運動についてのインタビュ−と最新本の紹介が載っていました。70年発行の全作品集から間をあいて76年の「ビンチランナ−調書」を最後に40年近く読んでいないが、「憲法九条を護る会」を基盤に活動を広げ最近しばしばニュ−スに登場する氏の顔をみてこの最新のエッセイを手にした。「沖縄ノ−ト」から始まり氏の社会運動を支えてきたのが若い頃出会ったふたりからの影響であることが率直に書かれていて合点がいった。一人は南原繁。社会や民族的な通念から逃れるにはとても強い独立した個人の倫理感が必要、と説いた哲学者。ありふれた社会理想ではなく個人倫理を基点とした大江の社会運動の原点であろう。もうひとりはエドワ−ド・サイ−ド。官僚や企業にCAPTUREされた専門家は必然的に国民や市民の声から離れるばかりなので、それに対抗するにはその分野でのアマチュアとしての知識人こそ重要とした。サイ−ド自らも中東のイスラエル、パレスチナ紛争の架け橋になるべく行動しつつ死期を早めた。知識人と個人主義尊重こそ官僚の作る日本社会という幻想から自由になれる鍵、と信じる大江の社会活動が、毎週金曜日の官邸前デモ集団に共感されていることが今夏の不思議のひとつ
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)
この小説をはじめて読んだ時の衝撃は生涯忘れられません。
読破をきっかけに「表現すること」について意識的な生活を送るようになりました。
人間は自分の感情や気分を表現せずには生きることが出来ない、
という当たり前のことを心底思い知らされる契機も、この小説が引き受けてくれました。
僕としては、この小説を読み終えた瞬間に、僕自身、生後初めて物心がついたんです、といいたい、
そんな思い入れたっぷりの推薦文です。
読む人間 (集英社文庫)
第一部で良かった箇所。
外国語の本の読み方として、翻訳を読んで、ほんとうにいいと思うところに赤鉛筆で、
よくわからないところに青鉛筆で、それぞれ線を引くか・線で囲む(pp.41-42)。
次に、原書で、赤の箇所を原文で見て、覚える。青い箇所は、辞書に十分に当たって
良く考える(pp.44-45)。(←結構、翻訳にも原書にも書き込むんですね)
最後に、原書を最初から読み通してみる(re-reading)。
例として、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』について詳しく話しています。
私はここを読んで、『キルプの軍団』の冒頭で、tutorたる忠叔父さんがディケンズの
『骨董屋』に赤く印した箇所を、オーちゃんが読み込むところを想起しました
(文庫本のあとがきによると、当の作者は忘れていたそうですが・・・)。
次に良かったのは、第4回”ブレイクの受容に始まる”です。
傑作『新しい人よ眼ざめよ』の「蚤の幽霊」の話が実際にあったことに驚きつつ、
ブレイクの"蚤の幽霊"の絵の意味合いについて知ることで小説をより深く味わえました。
下記webで当時の書店リストを見つつ読むのも一興だと思います。
http://www.junkudo.co.jp/sakkashoten/07oe/oe.htm
第二部で良かったのは、単行本のあとがきに代えて、最近の講演が追加されていること
です。東日本大震災に関連してのもので、大変いいお話だと思いました。