歴史和解と泰緬鉄道 英国人捕虜が描いた収容所の真実 (朝日選書)
―構成―
小菅信子による「解説」 (約30頁) (全体の1/10)
ジャック・チョーカーの著作の邦訳「手記」 (約200頁)
研究者による「鼎談」 (約50頁)
以上
じつは「鼎談」が一番興味深い.
読みやすいし, 分量も多くないので, これだけでも読む価値が十分にある.
とくに, 中学生以上の, 日々歴史に触れていく段階にある<生徒>・<大学生>,
その年代の子をもつ<親>に対しておすすめする.
戦場にかける橋 HDデジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
第二次世界大戦、ビルマのイギリス人捕虜収容所での泰緬鉄道建設にまつわる反戦映画。
イギリスの巨匠デビット・リーンが東西の有力俳優を起用して作り上げた誇り高き男たちの物語!
見終わった後に「建設と破壊」を繰り返す戦争について…「戦争って何?」との思いがよぎり何日も余韻が残る作品です。
本作はフィクションであり、実際のクワイ河にかかる橋である泰緬鉄道は木造ではなく鉄橋で、イギリス人の設計ではなく、れっきとしたとした日本人の手による設計で、戦後66年を経た現在も現役で使われています。
橋の建設にイギリス人捕虜が使われたこともないので、本作は完全なフィクションです。
駄目な日本人に代わって、捕虜のイギリス人が立派な橋を造った!という物語は、原作者のフランス人作家ピエール・ブールによるものですが、彼は実際に日本軍の捕虜となった経験があり、捕虜になった時の屈辱感が払拭できず、日本人嫌いで有名でした。本作の「ろくに橋も作れない日本人」と「知的で誇り高きイギリス人」はピエールの捕虜時代の復讐でした。
ピエールは本作の原作によって日本人に恥をかかせようとしたのですが、実際の映画はリーン監督をはじめとするスタッフ達によって、そうした部分は微塵もなく消されてしまったのを見て衝撃を受けたといいます。
怒りに達したピエールは更に「猿の惑星」を書き(猿は日本人がモデルで、囚われの人間は白人)捕虜時代の恨みを晴らそうとしたというエピソードもあります。
そんな作者の思惑は別として、本作の描き方は実に見事であり、平和への願いが込められている素晴らしい作品です。
映画のラストに登場する飛ぶ鳥のカットは、リーン監督からの平和へのメッセージといいます。
Blu-ray版にのみ収録されている特典もあり、ブックレットも読み応えがあります。
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印象的だったのはアレック・ギネスが演じるニコルソン大佐の頑固とも思える誇り高き振る舞いである。当時ハリウッドの代表的二枚目スターの一人であるウィリアム・ホールデンを完全に脇へ追いやっていた。また橋を建設する技術が当時の日本軍になかったとは思えないが、古い制作年代の映画にも関わらず日本人の描かれ方はひどくはなかったのはやはり監督がアメリカ人ではなく、イギリス人であったからであろうか?日本人将校を演じる早川雪州の威厳ある態度も好感が持てた。人間を描くことに力点も置きながら戦争の持つ無意味さをも大きなスケールで描いた秀作であると思う。
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まずDVDそのものの仕様については、PCに自動でプレーヤソフトをインストールするのでPCなどで鑑賞する場合要注意。
デビッド・リーンのファンであるジョージ・ルーカスらにレストアされた本編画像は申し分ない。
デビッド・リーンはジョン・フォードやキング・ヴィダーそれにチャールズ・チャプリンといった映画監督の作品をよく引用し、またその彼を慕うのが上記ルーカスやS.スピルバーグ、M.スコーセジとある意味現代の錚々たる映画人と、ハリウッドの王道を生きた映画人だが、それは勿論良くも「悪くも」、という括弧つきで言えることで、フランソワ・トリュフォーはそれをうまく「彼のフィルムはオスカー・パッケージだ」と表現している。
非ヨーロッパ系人の視線からは、彼のあまりにもわかり易い(というかハリウッドにネイティブな)オリエンタリズムが、たとえばこの作品ならばウィリアム・ホールデンを見つめる現地の女の視線の描き方や早川雪舟の、実際の戦場にはありえないような立派な和室といったものが映画の随所にただのディテールと見せかけて仕組まれているのが目に付く。もちろんそれがハリウッド映画的なステレオタイプとして当時の作り手も見る側も望んでいたものなのだといえばそれまでだが、このような作品がハリウッドの商品として世界に出回った結果、よくも悪くも(どちらかというと良い効果はあまりないのだが)アジアや日本といったものへの西側からの目線を規定していったことが批判されるべきことであり、それがエドワード・サイードをいまさら引き合いに出すまでもない21世紀的視線からのこの作品への第一義的批評であるのは仕方が無いだろう。だが、もしこの作品がもっと本来の意味的に政治的にピエール・ブールの原作に忠実だったとしたらどうだろう。もっと本質的な部分でどうしようもない嫌悪感をどの立場のニンゲンにも撒き散らしたことは想像に難くない。そうしなかった代償としてのオリエンタリズムだとすれば、それは批判ばかりされるべきものでもなだろう。
それにハリウッド的オリエンタリズム自体、オリエント側の視線から、本来意図されたものとはすこしズレたところで別の味わいをもって楽しめる部分が無いわけではないことも事実ではある。