解き明かされた死海文書
発見された死海文書のうち旧約聖書(ユダヤ教聖書)に関しては、エステル記を欠いているものの全体として相違はないけれど(p.127)、従来、短いバージョンのマソラ本文が正しいとされていた考え方は修正を余儀なくされた(p.135)、というのは公正なまとめでしょう。ファリサイ的・ラビ的再編成がなされる前は、死海文書のように融通無碍な本文が流通していた、というわけで、これはこれで旧約聖書(ユダヤ教聖書)の無謬説に対する大きな反論になります。
また、これまで知られていなかった主流はユダヤ教の文献の中には、マタイの山上の説教に似たものがある、というのも、死海文書研究の大きな成果です。紀元前一世紀の「至福」して知られる知恵の詩文なんかはシリア語で知られていたそうですが、そのヘブライ語の本文はクムランで発見されました(p.142-)。
同じくダマスコ文書として知られていた法規もクムランで発見され、隠遁的な生活を送ったエッセネ派のものだと同定されていますが、さらに、独身の男性コアメンバー向けの共同体の規則(かつては宗規要覧と呼ばれていました)も発見され、エッセネ派の二重構造が浮かび上がってきます。さらに、この宗派の創始者である義の教師による律法儀礼遵守論(MMT)はサドカイ派の慣行を思わせますが、それもそのはず、この宗派の祭司であるツァドクはサドカイと同じ意味だ、と(p.172)。どこの宗教も同じといいますか、細かな意見の相違から、主流派に反発して砂漠に引っ込んだのがエッセネ派である、と。著者が最初に主張した、それまでアレクサンドロス・ヤンナイオスと見られていた邪悪な司祭はマカバイ記にも出てくるヨナタンであるとして、エッセネ派共同体の歴史を概観する246頁以降は、この本の白眉でしょう。
死海文書入門 (「知の再発見」双書)
第二次世界大戦後に死海のほとりの洞窟で発見された古い古い写本である死海文書は、この前のユダの福音書のようなセンセーショナルな物であった。
本書はその死海文書の発見にまつわるエピソードと、その文書が作られた時代の背景について詳しく解説している。
まず、世界大戦の余波とそれに続く不安定な中東情勢のあおりを受ける中での文書類の発見について紹介される。
ユダの福音書発見の時に似て、現地の人が発見をして、売買をしていくが、本物かどうか怪しまれたり、社会情勢のせいで移動もままらなかったり、
苦労も多かったようだ。以降の章ではキリスト教黎明期のユダヤ教や、その当時の政治情勢(ローマ帝国の支配や反乱など)を詳説。
また、発掘作業についても詳しく語られている。死海文書そのものについてや、文書の内容がキリスト教史やキリスト教理解に与えた影響についてよりも、
調査作業や時代背景に関する事柄にくわしい。知の再発見双書の常として、豊富なカラー写真や図版は見所である。
巻末には遺跡に言及した古代の文献や、発掘作業のリアルな様子などがまとめられている。
キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌
三大宗教の創始者のうち、キリストの墓だけが伝説に覆われており、研究者・好事家の興味をそそっている。しかし世界最大の人物(神)の墓を暴くという行為はファラオの墓の発掘とは違う。
私もキリストともなれば衿を正したい気分がある。真面目な本でなくては困る。従って著者が誰か、と言うことが関心事となるのだが、考古学者に加えてジェイムス・キャメロンが一枚噛んでいることに注目したい。彼がわざわざ自分の評判をおとしめるようなことに加わるはずはないだろうから。
今回の話は長い経緯がある。だがキリストにまつわる長い話に比べれば一瞬に過ぎないだろう。著述は入り組んでいて判りにくいが、骨子はこうだ。
1980年、その墓はエルサレムの団地造成地から偶然に発見された。墳墓は前室と6個所の納骨洞に分かれ、10個の骨棺が置かれていた。6個には名前が刻まれており、マリア、ヨセフ、マタイ、ヨセフの息子イエス、イエスの息子ユダ、ギリシャ語でマリアムネと読めた。現場を検証したイスラエル遺物庁の調査官は、全て当時のありふれた名で特別な墓ではないとして、棺を保存しただけで団地造成工事を続行させた。
2002年、ある悪名高い古物商が「ヨセフの弟ヤコブ、イエスの弟」と書かれた骨棺の存在をTV局に売り込んできたことから、新たな展開が始まる。碑名が後代に刻まれた偽物ではなく、遺物庁に保管してあった骨棺の一つが盗難されていることも判明する、言語学からマリアムネと言う名はマグダラのマリアらしいと判る。統計的手法からこれらの名を持つ骨棺が同じ場所で発見される確立は超厳格に見積もると600対の1の確率と計算される。
キャメロンが加わることで、資金も得られ、調査隊が作られ、墳墓の再発掘や年代測定やマリアムネとイエスの骨からDNA鑑定などが行われる。
この手の本にありがちな、大げさな表現や結論のでない文献学的推論は除外して、はっきりしたことは次の2点である。1)骨棺は2000年の間同じ場所にあった。2)二体のDNAは一致しない、従ってマリアムネとイエスは親族ではない。
DNAの違う二人が同じ墓にいるからといって、それだけで夫婦と断定はできない。更に歯がゆいのはイエスの息子とされる人物の遺物を採取しながら、そのDNA鑑定結果は述べられておらず、理由も開示されないことである。DNA鑑定はできたのかできなかったのか、その次第を明らかにすべきである。ここまで追ってきてのこの隠蔽に後味の悪さを感じる。
結局は読み終わってから苛々感がつのっただけだった。それはキャメロンも同じだろう。墓があろうが無かろうがキリストそのものが変わるわけでないので、そうだったかね、と笑ってやるのが教養人としての正しいあり方と思うが、しかし残念だ。
死海文書のすべて
「死海文書」は1947年に死海の近くのクムランという場所の洞窟の中から発見された文献(巻物)の総称で、加速器質量分析(AMS)で年代を測定すると紀元前3世紀〜紀元後2世紀に入るものが多数含まれております。
死海の巻物はイエス様や新約聖書をよりよく理解する為の貴重な資料として欧米のキリスト教学者らが40年以上の研究を行い、近年日本でも研究書の訳書、解説書を読むことができるようになりました。
ローマの地誌学者プリウスは著書「自然誌」の中で、死海の西側にエッセネ派の部族が住んでいたことを記載しており、死海文書の中の宗規要覧に記載された信仰や慣習がエッセネ派とよく一致しております。
死海文書の解説本は多数ございますが、死海文書の発見の経緯、性質、作成年代、文字的特徴、などを極めて明確に要約できているのが「The Dead Sea Scrolls Today(邦訳 死海文書の全て)」かと存じます。
「二つの道」という節より、概要を紹介しますと、
「二つの道があり、光の道と闇の道、善の道と闇の道がある。(中略)どの人間にも光の部分と闇の部分がある。たとえ光の子らの一人であっても、誰もが罪人なのである。」
またイエスが絶賛された洗礼ヨハネはエッセネ派ユダヤ教だった可能性の考察はとても有益かと存じます。
死海文書の封印を解く―二千年の眠りから覚めたユダヤ・キリスト教の驚くべき真実 (KAWADE夢新書)
死海文書というのをご存知でしょうか?ぶんしょと呼ばずにもんじょと呼びます。1947年に死海近辺で見つかった古文書で、2000年ほど前に書かれ、キリスト教の誕生にまつわる記述がしたためられていたことから、歴史的な発見と言われたのですが、何故か、内容がなかなか公にされてきませんでした。この本は、このあたりの経緯、なぜ公開が遅れたのか?誰が遅らせたのか?現在、どういう研究がされているのか?という疑問を分かりやすく整理したものです。はじめて、死海文書というものについて調べようとする人にはとても役立つように思います。しかしながら、”死海文書”という歴史的な謎に興味を抱く人にとっては、ほんの僅かな情報量でしかないでしょう。目的に合わせて選ぶべきかと思います。