モーツァルト:歌劇「皇帝ティトの慈悲」全曲 [DVD]
この作品のDVD化を、出会ってから10年待ち続けていました。
セスト役は、メゾの名花、トロヤノス。この役に、彼女以上の歌手・役者はいません。
最初はLDを人に頼んでビデオにダビングしてもらい、その次に限定復刻版ビデオテープときて、諦めかけていた時にやっとDVDになりました。
史上最高のティートです。
ローマ遺跡ロケの美しい映像。
歌手陣の充実(アンニオ役のアン・ハウエルズも「アンニオ役者」としてたびたびこの役を演じている)。
そしてジャン・ピエール・ポネルの素晴らしい演出。
華麗な衣装。
これで、いつまでも楽しむことができます。
モーツァルト 歌劇《皇帝ティートの慈悲》 [DVD]
すでにアーノンクールには1993年3月にチューリッヒ歌劇場でのCD録音があるが、
これは2003年8月のザルツブルグ音楽祭(フェルゼンライトシューレ)で収録された映像である。
この「いかにもな」オペラセリアの台本によるオペラは、作曲者の「希なる駄作」と
見なされてきており、アーノンクールのCD録音をもってしても
「音楽・演奏自体は素晴らしいが、この台本は何とかならないのか?」という印象であった。
慈悲深く思慮深く、臣下への思いやりにあふれた皇帝ティートへの賛歌というのは、
まじめに、立派に演奏すればするほど聴き手は、その人間ドラマの空虚さに耐えられなくなるのだ。
ところがマルティン・クシェイの演出は、ティートの実像を「歌詞の表面」とは
全く逆(つまり、慈悲深く思慮深く、臣下への思いやりにあふれた理想の皇帝の逆)に設定することで、
ドラマの深みを<創造>し、より深層に隠れた人間ドラマの<真実>を抉り出したのだ。
これは演出のマジックなのか? 演劇という芸術の常套手段なのか?は、私には解らない。
しかし(あくまでもクシェイの演出に限ってだが)この最後のオペラは空虚な駄作ではなく、
「最初のロマン派オペラ」(「魔弾の射手」に先行すること30年)として
理解すべき作品であると私を<改心>させた。(モーツァルト最晩年のロマンティシズムを先導する)
クラリネットの音色に彩られた深層に隠れた人間ドラマ!
独唱者はいずれも「歌唱におけるアーノンクール・チルドレン」ないしは
「熱狂的アーノンクール・ファン」というべき人たちである。まず、従来の自己の歌唱スタイルを
完全に捨て去ったのち、指揮者のスタンダード・枠組みのもとでスタイルを再構築し、
精密きわまりないアンサンブルを作り上げている。
もちろん、指揮者の「鋼の意志」は「言わずもがな」貫徹されている。
モーツァルト:歌劇「皇帝ティトの慈悲」全曲 [DVD]
このオペラは「魔笛」と並んでモーツァルトの最後のオペラですが、オペラセリアでやや堅苦しいこと、短期間で仕上げたので、レチタティーヴォを弟子のジュスマイアーに任せたことなどで、落ちる作品と考えられ、上演が少なかったのですが、音楽は晩年のモーツァルトらしくすばらしいということもあって近年見直され、とくに生誕250年ということもあって、つぎつぎにDVD化されています。
これまではポネル演出の映画版が決定版と思われていましたが、この上演はキャストがすばらしいので、迷わず購入しました。期待通りすごい上演で、アーノンクール指揮のウィーンフィルもすばらしいのですが、カサロヴァのセストとレッシュマンのヴィテッリアはめちゃくちゃうまくて圧倒されます。とくに1幕のフィナーレのセストの「行きます!」とその後のヴィテッリアとの重唱は互いに一歩もひけをとりません。
ザルツブルグのフェルゼンライトシューレをうまく使って人間関係と心理的葛藤に焦点を当てた現代的な演出なのですが、ひとりよがりな演出ではなく、音楽とピタリあったすばらしい上演です。ローマの遺跡を使って時代背景を重視したポネル演出版と合わせてこの上演を見れば、このオペラが決して落ちる作品ではなく、それまで何度もオペラ化されていた台本を使いながら、人間の心理に重点を置いた新しいオペラに仕上げようとしたモーツァルトの意図もよく理解できると思います。