吾輩は猫である (岩波文庫)
本書を読み終えた感想を一言で述べるならば題名のようになります。長編として知られる本作ですが、その文体はまるで穏やかな河の流れのように静かに淡々と、それでいて自然の偉大さを兼ね備えた、そんな文章でした。猫の視点という非日常から語られる、日常はとてもリアルに感じられます。
読みすすめる上で、確認しておかなければならないのは本作品がいつの時代を生きたか、ということです。漱石は1867年に生まれ、1916年に他界。そして本作品は1904年に『ホトトギス』に掲載されました。日露戦争が開戦し、文明開化がいよいよ大衆にまで影響を及ぼす頃、本作品は執筆されたわけです。
文明開化とは言っても、現代の情報化社会とは違い、まだまだ口承文化が大衆を支配しており、本作品の中でも、卓越した論争が幾度となく繰り返されます。現代では知識とそれを生かせる技術の両方を持つことが発達課題のようになっていますが、口承文化の根付く、当時は知識がその比率を支配していたように感じられます。その中で、主人公の口を借りて発せられる漱石のメッセージには時代を感じずにはいられませんでした。
女性化された社会、西洋文化が輸入された時の日本人観、自己の意識・可能性の高まり、結構の不可能性、自殺の必然性・・・漱石の根拠のない勝手な弁論もありますが、目を見張る事柄も多い。漱石自信の思想が伺える部分も多く、大変参考になります。
私には退屈な部分も少なからずありましたが、最後まで読んで良かった。現代との違いを文学というフィルターを通して見るとこうなるのだと納得させられました。正確の全く違う人物が登場し弁論を繰り返す、当時の日本の「世間」は、なんと狭く濃密であったのでしょう。。。