グレン・グールドの生涯
グレン・グールドは30年以上前にもなるがソニーからレコードで大々的に発売されていた。彼のデビュー作と50歳という若さで夭折の作品が、バッハの作品であることも、彼の音楽家としての実力はまずはバッハの画期的な演奏にあることも、彼の人生を考える上で重要であろう。トッカータやフーガといった技法を彼自身のものとして、鍵盤一つ一つと対峙しながら、具体的に特に腕から手を暖めながら、目線の高さを鍵盤に置き透明感のある驚きのある演奏家がグレン・グールドであった。モーツアルト初期の作品は好んで演奏したらしいが、後期の作品や、時代は変わるがさらにロマン派の作品は全く興味が無くほとんど演奏しなかった。一方、現代音楽は好んで演奏した。天才ゆえのこだわりであろうか。バーンシュタインやカラヤン等とも共演しているが、彼ら天才指揮者達もグレン・グールドを可愛がっていたようだ。ピアニストとしてのコンサートの主流活動は20代といった若い頃に卒業し、コロンビア社と録音という新しい技術に興味を持ってからは録音スタジオでとったテープをより完全を目指して切ったり貼ったりをくり返していたようだ。こうした芸術の完成方法自体、新たなグールドばりの芸術と考えて良いと思う。グレン・グールドが録音スタジオに入ったきり出てこなかったころ、先輩の天才ピアニスト・ホロビィッツが引退後再度コンサートピアニストとして目の前に現れた。ピアノに関する音楽についての考え方に違いがあることも明白だが、グールドの自分の考え方に影響は、ピアノの音や解釈に変化はあったのであろうか。グールドの音楽の理解に本書が参考になれば良いと思う。
グレン・グールド 孤高のコンサート・ピアニスト (朝日新書)
著者は複数人の生涯を同時並行的に追跡し、その運命の糸が糾える様やそれら複数人の総体が象徴する時代を描くのが得意。本作はグールドを主人公とし、同時代人エルヴィス、ジェームス・ディーン、サリンジャー等の他分野のアーティストを伴走させる。しかし、伴走者とグールドの接点がほとんどなく、伴走者が浮いてしまっている。グールドを50年代の怒れる若者とするのは強引。40年代からグールドの個性は発揮されていたのだから。グールドがデビューした50年代の空気を伝える必要はあるにしても、本作のエルヴィスやサリンジャーへの言及は空疎だ。グールドのコンサート行脚をオン・ザ・ロード、そしてジャズと結びつけるのは衒学的。細かいことだが、ジョン・コルトレーンがマイルス・クィンテットのメンバーになっただけでジャズの新時代の幕が開けた訳でない。また、新たな発見がないのに、ビートルズ、エルヴィス、グールドのコンサート活動停止を横に並べても意味がない。
本書記載のグールドの活動の大筋は既に「二十世紀の10大ピアニスト」に書かれている。グールドの発言や著作からの引用、さらに村上春樹と小澤征爾の対談等で補足し、グールドのコンサート・ドロップアウトまでの日々を丹念に描くが、多量の文献に読者が直接あたる手間を省いているだけに思える。この日はベートーヴェンの第2番、次の日は第4番、その次の次の日はバッハの第1番・・・といった記述が続くと飽きてくるが、グールドのコンサートへの飽きを体感させるのが狙いだとしたら、その狙いは当っている。
スローターハウス5 [DVD]
原作はカート・ボネガットジュニアのsf?小説(未読)だがボネガットは連合軍によるドレスデン無差別大爆撃を捕虜として体験している。広島、長崎に匹敵する大虐殺だが被害者(市民約15万人)がドイツ人のため殆ど非難されない。この映画でも「ドイツ人には何をしてもいいのか?」「ナチスはユダヤ人を殺したろ?」という台詞がある。映画は「明日に向かって撃て」で知られるジョージ・ロイ・ヒル監督だが殆ど無視されている。ヒルは大戦時は空軍パイロット。sf映画のように見る向きもあるが政治的な映画である。音楽はグレン・グールド。本人は認めないがユダヤ系と言われている。映画はアルデンヌの戦いか。雪の中の戦争シーンとグールドの音楽は比類なく美しい。この映画が無視されているのはハリウッドがユダヤ人の支配下にあるからだ。スピルバーグはネオコンである。知らないのは日本人だけ。この映画を賛美すると必ずホロコーストがどうしたとかいう人が多い。ホロコーストなんてなかった。とは言わないがそれでドレスデン大虐殺が許されると思うな!!dvdは安くないが日本人は必ず見るべきだ。
グレン・グールド シークレット・ライフ
本書は、グールドと交流のあった人々に実際にインタビューしてそのこから得られた証言を元に構成されていて、これまでのグールド像を壊して、新たな一面を提供しています。
もともとグールドの私生活について書かれているものは少ないのですが、特に女性関係については、ほとんど触れられているものはありません。グールドは全く性には興味がなかったと思われていたようですが、もとより潔癖症から人と握手することさえ忌み嫌う男が性交渉という肉体の接触を伴う行為をすることはありえないというのが、一般的な見方であり常識化しています。しかし、本書ではグールドの衝撃的な行為の目撃談によってそれがはっきりと否定されています。ワイドショー的な好奇心を満たしてくれることは確かですが、それだけにとどまらずより深くグールドの喜びや苦悩を感じることができます。また、女性関係は時系列に進行する形で書かれているので、レコードが録音された時期に照らし合わせれば、曲目の選択や演奏に影響を及ぼしたかもしれない女性がわかります。読後はグールドをこれまでより身近に感じられるように思いました。
アスペルガーの偉人たち
単に「昔の偉い人」という捉え方でこの本を読むことはできませんでした。なぜなら、あたしもアスペルガーだからです。
そして単純にこの本のなかのミスを言わせていただきますと、初めにの部分の13ページの中ほどの
「アスペルガー症候群とされるほとんどの人は他社との交流したい、社会の一員になりたいっていう要求ありますが、高機能自閉症者の場合はしばしば孤独である方がはるかに満足でき、「自分だけの世界」に住んでいます。」
という部分に違和感を感じ、主治医に聞いたところ「これは間違っていますね〜」と返事が返ってきました。
さらに、あたしが違うと思うところは、
「外観には頓着せず、時と場所にかかわらず同じ服装をする傾向があります。」
とありますが、私は学生の頃は服飾を学んでいたし、おしゃれには興味があります。
逆に、
「時間には厳密で恐ろしいほど正確」
とありますが、あたしはわりとルーズです。
でもまあ、この本に関してはそういう間違いも許すことができます。なぜなら著者もアスペルガー症候群だからです。少しでもこの症候群のことを知ってもらいたいとのことで書いたそうです。そういう気持ちはあたしもアスペルカーですから本当によく分かります。
アインシュタインの
「非常に早い時期に、人からできるだけ影響を受けず、他者と分離した存在として自己を確立することを自らに課していました。」
と言うのは当事者としては尊敬するところです。賢いと言うか、アスペルガーとしてはそうしていたほうが楽だから…