わたしの出会った子どもたち (角川文庫)
最初にこの本をPresentされてから 早6年以上が経とうとしています。その間何度読んだかもはや思い出せませんが(ほとんど全て暗記するほど)今でもこの本は私の(作者の言葉を借りて言うなら)“精神の書”だと思っています。
子どもを通して自分を見つめる、社会を考える・・・この本が最初に書かれてから20年以上経つだろうし、日本社会(日本だけでなく他の世界も)どんどん変化していく。文明と言われるものは誰の意志でか、どんどん発達していく。“変わらないもの”なんてないのかもしれないし、あっても見つけられないのかもしれない。
でも でも・・・時代の流れがどうであれ、学校教育の変化がどうであれ、私自身がこの本に寄せている想いは今も変わらない。
自分勝手な感想や意見を述べるのは著者に失礼になるかも・・・と思いながらこれを書いていますが・・・とにかく彼が本の中に出している子どもたちの詩だけでも ひとりでも多くの人に読んでいただきたい。
兎の眼 (角川文庫)
小学校の時、夏休みの課題図書に必ず入っていました。しかし冒頭、ハエの精密な描写に辟易して、ついぞ読みきることはないまま大人に。30歳で初めて読みました。
最初の小谷先生が、まさに昔ハエに拒否反応を示した幼い自分と重なりました。
しかしここからが違う。まさにハエにしか興味を示さない鉄三の、内面に潜む知的好奇心、情緒を育んでいくのです。
私の子供時代にも、こういう老祖父母に育てられた、どこか感情に乏しい子はいました。鉄三の祖父もきちんとした人ではあるのですが、やはり言葉をたくさんかけて育てられないと、自分を表現するすべを、研くことが難しいのかも知れない。
クライマックスの、鉄三の書いた作文を読む小谷先生。この鉄三の作文、ガチガチに育ちきった自分には読めなかったのです。それをすらすら読む小谷先生に、鉄三と取り組んだ時間の重みを感じて涙が止まらなくなりました。
メインストーリー以外にも小谷先生の夫婦関係、鉄三の暮らす環境、父兄など大人が読むといろいろ見えてくるものがたくさん盛り込まれています。ですから児童文学として有名な本作ですが、私は灰谷さん自身は本当に「子供向け」として書いたのだろうか…と疑問に思います。
子供の時に読んだという方も、是非大人になった今、再度読んでみてはいかがでしょう?子供時代に気付かなかったものが見えてくるかも知れません。
天の瞳 幼年編〈1〉 (角川文庫)
主人公倫太郎は特異なようで決してそうでないと気づくはず。
誰もが皆、倫太郎と同じものを有している。
自分の中の倫太郎と彼の周囲の人々のように倫太郎に理解を示し、伸ばしていく姿は、ひとりの生きる人間として大いに参考になると思えます。
彼と彼の周囲の人々は自分を見つめなおす絶好の機会を与えてくれます。
天の瞳 最終話 (角川文庫)
伝えたい思いがたくさんあったのが読んでいてわかります。
物語としてこれより面白く完成度が高い作品はこの世の中にごまんとあります。でも間違いなくこの本が一番心に響き、影響を受けました。
一段も二段も高い人間になるために、そして、より深い人間になるために、自分は何をすればいいのか。
一生この言葉を忘れずに生きていきたいです。
太陽の子 (角川文庫)
何度読み返しても、ボクなんか、心が震えてきます。
教育基本法に「愛国心」と言う「うさん臭い」言葉を入れるよりも、強制的に日の丸を仰いで起立して「君が代」を歌うよりも、教師も生徒も、いやそれより役人や政治家と言った大人こそ、この作品を読むべきです。
この作品を読んで心が震えたなら、そんな自分に正直に生きるべきです。